1968年に編集助手として日活とフリー契約。
1975年に効果係へ移り音効マンとしてのキャリアをスタートさせ、主に小島良雄に師事。
1978年より日活分社化に伴い東洋音響効果グループに参加し、主にアニメ作品やテレビドラマなどを担当。
特に『熱中時代』などの田中知己演出ドラマに多く関わる。
1988年、東洋音響の解散を契機に同グループのスタッフであった柴崎憲治(現・アルカブース代表)らと共にサウンドボックスを設立。
以降はビデオ映画や三谷幸喜監督作品などの実写作品もコンスタントに手掛けつつ、アニメへと活動の中心をシフトさせ、話題作を数多く担当。
音楽監督・選曲家の鈴木清司、プロデューサーの南雅彦、音響監督の三間雅文、明田川進、若林和弘、作曲家の菅野よう子らとの繋がりが深い。