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制作スタッフ

山本寛(やまもとゆたか)

概要

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【基本情報】
山本 寛(やまもと ゆたか、1974年9月1日 - )は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督。
愛称は「ヤマカン」。
血液型・O型、乙女座。既婚。

【人物・制作姿勢】
大阪府箕面市出身。大阪教育大学附属高等学校池田校舎を経て、京都大学文学部を卒業後、京都アニメーションに入社。その後アニメーションDoに移籍し、現在は株式会社「Ordet」の代表取締役を務めている。主に『涼宮ハルヒの憂鬱』の演出家、『らき☆すた』『かんなぎ』のアニメーション監督のほか、2010年には『私の優しくない先輩』で実写映画の監督としても活動している。
『らき☆すた』の監督を降板した際に京都アニメーションが社内判断の理由として用いた「その域に達していない」というフレーズを、手がけた作品のセリフやプロモーションに頻繁に用いている。『ケメコデラックス!』オープニング監督を降板した際には、山本との親交がある監督の水島努がブログで「山本さんの枕詞」と、冗談めかして書いている。
ライバル視している演出家として、シンエイ動画に所属している高橋渉と、J.C.STAFFを中心に活躍している長井龍雪を挙げている。他に興味のある監督には細田守、原恵一、新海誠の名前を挙げており、理由としては自身を無個性と分析しているため、個性を持っている作家を好むと語っている。また、「アニメ作品を見る場合はどうしても作家に寄るもの」(作家主義)と述べており自身が好む監督に宮崎駿、庵野秀明の名前を挙げている。「『エヴァ』はアニメにおけるヌーヴェルヴァーグである」という賞賛と持論を展開しながらも、同作には「アニメ史的に積み残したものがある」として「ポストエヴァ」の作品を意識的に作っていくという態度を取っている。同作から受けた影響に関しては、近年も語られていた。
作曲家の神前暁(『涼宮ハルヒの憂鬱』音楽担当)は高校・大学の同期生で、彼が関わる作品に多く参加している。
同姓同名のアニメーター(『ぼくの地球を守って』『愛天使伝説ウェディングピーチ』などの制作進行を務めた人物)とはまったくの別人である。
沢城みゆきとは、作品の大半の主役級のヒロインかつ明るく元気なヒロインを演じる事が多い。沢城本人は、山本監督作品のヒロインの常連である。

【プライベート】
関西の映像サークル「スタジオ枯山水」にも所属しており、自主制作映画にも関わっているが最近は本業が忙しいため一歩引いている様子。同サークルのホームページには「妄想ノオト」という彼が持つコーナーがあり、そこでは歯に衣着せぬ映画評論を行なっていた。同コーナーには、当初北野武や黒澤明の映画を好んでいた彼が蓮實重彦の映画批評に激しい影響を受け、小津安二郎やジャン=リュック・ゴダールの映画に深く傾倒していく過程が克明に記述されている。「アニメには批評が必要」というのが持論で「妄想ノオト」は出張版として「オトナアニメvol.6」より復活、その後のインタビューでも主張を続けている。再開時前後のインタビューで「妄想ノオト」について問われた際は、「(自分が)わかってない事がわかった」とコメントした。
アイドル好きでも知られ、自身が演出を手掛けた『涼宮ハルヒの憂鬱』エンディング『ハレ晴レユカイ』にもその影響が垣間見える。『涼宮ハルヒの憂鬱』でのアイドル研究部員「山根」(アニメオリジナルキャラ)は京アニサイト制作日誌5月11日の発言および外観上の特徴から彼がモデルと推定される。他にも、『涼宮ハルヒの憂鬱』第1話「朝比奈ミクルの冒険」で用いられた強烈な電波ソング『恋のミクル伝説』は作詞を手掛けている。また『涼宮ハルヒの憂鬱』の番組CMでは、電車の乗客役で出演している。山本の特徴的な演出であるOPやEDでダンスを踊らせるのもこの影響であるが、この演出は『かんなぎ』で最後にすると語っていたが、映画「私の優しくない先輩」において、山本自身は視聴者にも飽きがある等渋りつつも、プロデューサーからの強い要請により条件を付けながらも4度目の実現に至った。なお毎回ダンス・振り付けのテーマスタイルは変わっている。
バンドでドラムを担当していたことがあり、これが『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話ENOZ演奏シーンでのドラム演奏描写への異常なこだわりに繋がっている。高校時代は神前とともに吹奏楽部に所属しており「史上もっとも偉大なOB(C)鳥坂先輩」として君臨しているとの噂もある。クラシック音楽ファンであり『涼宮ハルヒの憂鬱』劇中でのクラシック音楽選曲には彼が一枚噛んでいる。
2008年11月に結婚した事が、「かんなぎまつり」にて報告された。
自身の参加したアニメに多数関わった声優茅原実里のファンでもある。

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経歴

【幼少期から学生時代】
幼少時は大ファンであった藤子不二雄の漫画作品に影響を受け、漫画家を目指す。その後、宮崎駿の『天空の城ラピュタ』に強い感銘を受け高校受験時にはアニメ業界に入る事を決めていたという。
京都大学ではアニメーション同好会に所属し、自身でメガホンを取った自主制作映画『怨念戦隊ルサンチマン』を制作。これは庵野秀明らが学生時代に制作した『愛國戰隊大日本』のオマージュであり、山本自身にも「教科書」と言わしめる程の影響を与えた。同作は細かな演出などで話題を集める。また大学の卒業論文の題材として『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』『もののけ姫』を取り上げたアニメーション論を扱った。

【京都アニメーション時代】
卒業後は京都アニメーション本社に入社。デジタル映像開発室勤務を経て、同社の大阪スタジオであるアニメーションDoに移籍。『POWER STONE』の演出でデビューし、『週刊ストーリーランド』の演出を手がけた事よりシンエイ動画のテレビシリーズで早くもその手腕が注目される。それ以降各話演出・脚本を主に手掛けるようになる。『ジャングルはいつもハレのちグゥ』を演出した際は独特の演出センスによって監督の水島努から武本康弘と共に仮想敵扱いされ、「あいつらより面白いものを作らないと監督としての立場が危ない」と言わしめた。これによりシンエイと京アニとの間に良い意味での対抗心が醸成されシリーズ終了まで互いに競争を繰り広げた結果、作品の完成度が底上げされたと言える。その山本も、水島が演出し大塚正実らが作画を担当した『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』のエンディングである「ファンファン&シャウト」に強い影響を受け、『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングを作るきっかけを得た。
『らき☆すた』ではアニメ初監督に就任するも、「監督において、まだその域に達していない」との社内判断から第4話をもって降板(第5話からは武本が担当)。そして2007年6月23日をもってアニメーションDoを退社し、フリーとなる。退社前に制作された一部エピソードに関しては、降板後も脚本や絵コンテを担当した。なお『らき☆すた』第23話でも脚本を手がけているがエンディングで「修正 待田堂子」と横にクレジットされており彼の脚本そのものではない(Do退職前に脚本が作成されていた等、理由は考えられるが現在では経緯は不明)。

【Ordet設立後】
2008年、「月刊ニュータイプ」誌上にて大阪市内にアニメ制作会社・Ordetを設立したことを発表、設立後はハルフィルムメーカー、A-1 Picturesからの仕事を多く手がけている。また、第一作目の商業実写映画として2010年夏に公開された『私の優しくない先輩』の監督を手掛け、Ordet初の元請作品『ブラックロックシューター』においてはプロデューサー的役割に徹した監修を担当した。2011年1月より自身初めてのオリジナルアニメ『フラクタル』の監督を務めている。
『私の優しくない先輩』に関しては、低予算・公開規模の小さな映画であったが、映画監督の松江哲明からは絶賛を受けるものの、映画評論家の柳下毅一郎や宇多丸から酷評を受け、ブログにおいて山本自身が反論を行った。柳下は酷評後の山本とファンの行動に対して、宇多丸が唱えた「山本自身がアイドル」という比喩に納得したと語っている。

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